トップ –> 富士市指定史跡 –> 富士市指定文化財 金原明善翁大規模植林地

富士市指定文化財 金原明善翁大規模植林地



富士市指定文化財 金原明善翁大規模植林地

富士市指定文化財
金原明善翁ら大規模植林地
(きんばらめいぜんおうらだいきぼしょくりんち)

昭和53年9月1日  市指定史跡
富士市桑崎字板子屋1017  面積11,324平米

 明善記念林の名残として、県道富士裾野線の西沿、板小屋の古木の並木1.1ha、ヒノキ481本、サワラ15本を昭和53年9月1日、天然記念物の意味で「金原明善翁ら大規模植林地」として富士市の文化財に指定史跡し、明治37年植栽の明善翁手植の古木が保存されております。
 また、昭和48年6月に静岡県から内山財産風致保安林としても指定を受けています。

 明治35年より4ヶ年間、金原明善翁の主宰する静岡県山林協会と当時の今泉村外5ヶ町村、内山組合とが分収契約を締結し、富士山麓の原野に大規模な人工造林を実施したのですが、もとよりこの地は冬に富士おろしの寒気流が停滞し霜溜となって、厚い霜柱は苗木を枯らし、更に山火事や野鼠の被害など、極めて難事業でこの原野へ造林することは暴挙であると批判する者もある程であったが、明善翁は堅く自ら期するところがあり条件の悪い場所に模範林を造成してこそ造林家の手本であると、周到な企画と指揮により、またその心意気に賛同する作業員、協力者の努力が実を結び、成長の見通しがたつようになった明治39年静岡県山林協会は林業家の全県的組織になるため発展的解消を遂げ、内山組合と分収契約を締結した184haと帝室林野局との部分林101haの権利義務は総て静岡県と富士郡に寄附したのであります。
 その後県有林は富士郡に払い下げられ、285haの分収林は富士郡有林として保有されたのですが、大正11年郡制の廃止により20年生に成長した明善記念林も富士郡より内山組合が買受けることとなり富士市内山特別会計の直営林として管理されております。

金原明善翁大規模植林地 金原明善翁大規模植林地

金原明善翁の略歴

 天保3年(1832年6月7日生)浜松市安間町の大地主代官金原軌忠氏の家に生まれる。「国土の経営はまず山川を治めることにある。」暴れ川、天竜川流域に大造林を実行し水害から流域住民の生活を守り、治山、治水につとめ天竜美林づくりの原動力となった。
 金原山林、天城御料林、身延山造林、内山造林、北海道金原農場等明善翁の植林は、家財の増殖が目的でなく治山、治水、利水を三位一体とし総合的に国土の保全につとめることにあった。
 明治37年金原植林の内1,200haを寄附し「金原疎水財団」現在の財団法人金原治山、治水財団を設立、明善翁の思想と事業が引き継がれている。
 明善神社の祭典は毎年10月14日に実施され、天竜川流域の関係者により「治山、治水の神様として崇められている。」

大正12年1月14日逝去(享年92歳)


ページのトップへ


アクセスカウンター